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Balloon_mini

「何かを言われるということは、1度受け入れてみるべきかもしれない」とふと思いました。
その言葉がムッと来ることであるなら尚更です。
それを聞いてどうするかは置いといて、まずは1度、受け入れてみる価値があるのではないかと。

「何度も言われて、耳にタコができるよ…」と呆れているようなことは、なにか大切なものを見逃しているサインなんじゃないかと。
繰り返しその言葉を聞く場合、わかっているつもりで、実はわかってないんじゃないかと。

なぜこんな抽象的な話をするかというと、自分自身を振り返ったときに、素直に従っておいてよかったと思うことがたくさんあったからです。

思った以上に、自分の視野というものは狭く、近くしか見えていません
遠くを見ていると思っていても、やはり見えているようで、見えていないのです。

人は物事を見るときになにかしらの「フィルター」みたいなものを持っていると思っています。
経験や、知識などからそのフィルターは作られていくと思うのですが、これが結構厄介だったりします。

自分の中にないもの。
自分と違ったもの。

他にも色々あると思います。
これらのものを初めてみたとき、フィルターを通すと、拒絶反応を起こしたりします。

曖昧すぎますね。
私もふわふわしたものをつかんでいるようで、言葉にしづらいのですが、山登りにたとえてみます。

山頂まで登った人には、見える風景があります。
しかし登っている途中の人、もしくはまだ登り始めていない人には、その風景が見れません。
当然ですね。
なので、山頂まで登った人がその景色の素晴らしさを伝えても、登ったことのない人達にはなかなかそれが伝わりません。
見たことのない人の中には「そんなものがあるはずがない」と最初から否定する方もいるかもしれません。

これと同じようなことが、私にもあるんじゃないか。

つまり、周りには私の状況が見えていて、どこをどうすれば解決できるかわかる。
しかし私だけが足元しか見えていない、なんてことが。

そう考えると、意見をくれる人というのは、ものすごくありがたい存在なんじゃないかと思うわけです。
私が見たことのない風景を知っている人が、私に何かしらのアドバイスをくれているんじゃないか、と。

それを最初から「そんなはずがない。私はちゃんとやっている」と突っぱねてしまったら、ずっと足元しか見えず、暗闇の中をさまよっていることになるかもしれないのです。

話は戻りますが…

「ムッ」とくる言葉ほど、案外自分に足りないものだったりします。
本当はわかっていて、見て見ぬふりをしているものがいっぱいあります。
だからこそ「わかってるよ!」とムッとしてしまうのかもしれません。

ただ、恐ろしいのは、見て見ぬふりを続けているうちに、本当に見えなくなってしまうこともあるんじゃないかということです。

それじゃ困ります。
いま直さなかった欠点は、後々になって自分の首を絞めることになります。
「いまがそれを直すチャンスだよ」というサインを見逃したくありません。

私の父がよく通っているお店のマスターからのお話をちょこっとします。
マスターは「年上の話っていうのは、どんなにくだらない話でも良く聞いておくといいよ。いまはわからなくても、後々絶対に役に立つから」と私にアドバイスしてくれました。

私の知識、視野はまだまだ狭いです。しかも自分が思っている以上に、です。
しかし、幸いなことに周りの人から、何かしらの形でアドバイスをくれます。

優しく包み込んでくれるアドバイスももちろんあります。
しかし、グサッと突き刺さることを言われる方が多いです。
ただ、それらはきっといまの私に必要なことなんだと思います。

そのときわからなかったことでも、歳を重ねると「そういうことだったのか!」とわかることは何度もありました。
アドバイスをくれた方が「これは知っておいた方がいいんじゃないの?」と思っていることを、
私に教えてくれているのだと思って、もっと素直に、柔軟に、吸収していきたいと思いました。


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